煤払いの儀式

松永です。


師走の大掃除は
「煤払い(すすはらい)」
ともいいます。


昔は炊事で薪を燃やして
調理していましたし火鉢では炭
明り取りに油を燃やしました。


ときにでる炭素の細かい粒が煤です。
 

びっくりするほど家中に、とくに
天井に煤がたまっていたのです。


それを取り去るのは
とても大変でした。


煤払いがメインの大掃除は
なくてはならない年中行事
だったわけです。


でも、なぜ師走のでしょうか?


煤払いには神棚をはらい清め
年神様を迎える準備をするという
大切な役目がありました。


年神様は正月に家々にやってきて
その家のその年1年を守ってくれる
神様です。


まず神棚を清め
門松や松飾りで訪問先の目印とし
〆縄をかけて穢れのないことを示し
年神様の居場所になる鏡もちを飾ります。


このように年神様をお迎えする
準備をする、それが煤払いの
もともともの意味です。


『冬の宿 嘉例のすゝはき』
(ふゆのしゅく かれいのすすはき)
歌川豊国(三代)1855年
 
 
煤払いをしている様子を描いた
三枚続の錦絵です。
 

江戸時代の煤払いは12月13日に
行うと決められていました。
 

この日に江戸城で煤払いをしたため
武家、商家、町人すべて13日に
するようになったようです。
 

この日の江戸市中は掃除をする人々で
ごった返していたことでしょう。
  
 
商家では使用人だけでなく
出入りしている鳶職も作業する
ならわしでした。
  
 
鉤爪のついた鳶口(とびぐち)を
持っている男もいますね。


 
作業が終わったら馳走や酒がふるまわれ
それを楽しみに精を出したとか。


にぎりめしや煮しめが
用意してありますがさっそく
食べている男もいます。



この絵には別の意味もあります。


左上に小さく浅草寺の屋根や
五重塔が見えますよね。



そこから、ここは芝居町である
猿若町の様子を描いたものという
ことがわかります。


安政の大地震が起きたのは
1855年11月のことです。


〔安政二年江戸大地震火事場の図 〕


この絵はその1ヶ月後に
刊行されています。


つまり役者たちの無事を人びとに
知らせる役目があったわけです。


中村翫(かん)太郎
岩井粂(くめ)三郎といった
人気歌舞伎役者を描いた
見立絵でもあったのです。


さて時はすぎ現代では、


煤を払う箒は掃除機に
雑巾はクイックルワイパーに
とってかわりました。


とても便利になって大掃除は
しなくてもいいぐらいに
いつも家はきれいです。


でも、みんなで大騒動して
払い清める姿は師走の風物詩
として残したいものです。

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