10,000枚の浮世絵

松永です。


浮世絵は絵師・彫師・摺師の
分業でつくられました。


じっさいはもっと複雑ですが
あまり知られていません。


これ知ることで絵を観る楽しみ
が何倍にもなります。


今回はその話をしようと思います。


まず、浮世絵の出版は

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版元(はんもと)とよばれる
出版人が元締めです。

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版元から絵師に注文が入ります。


「今年のトレンドは富士だな。富士詣の数も増えていて、空前の旅行ブームがきそうだ。これならヒットまちがいなし!」


北斎に「富嶽三十六景」をオファー
したのは、このような見とおしがあった
のかもしれません。


版元は商売でやっていますから
どんな名作であっても売れなければ
意味がありません。


民衆の関心事につねにアンテナを高く
して売れる絵は何かつねにリサーチ
しました。


役者絵や遊郭をテーマにしたのも
江戸の町人の欲求をよくわかっていた
からです。


版元はアートプロデューサー
でもあったわけです。


すぐれた版元はつぎつぎに
ヒット作をリリースしました。


有名なところでは蔦屋重三郎
保永堂の竹内孫八などがいます。


ちなみに「蔦屋書店」は重三郎に
あやかってつけられた屋号です。


さて、

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版元から依頼を受けた絵師は
「版下絵」にとりかかります。

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「版下絵」は墨一色で描かれ
版元のチェックが入ります。


修正を求められたところを
直して完成です。


絵師には好きなように描きたい気持ち
があっても版元にさからうわけには
いきません。


それに何が売れるかは絵師よりも
版元がくわしいのです。


北斎や広重のような売れっ子絵師は
自分のやりかたを押し通せたかも
しれませんね。


「ダメだってーんのなら別の版元に行きますよ」


と言われたら版元は困りますからね。


版下絵は版元から彫師の手に
わたされます。

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彫師は桜の板に版下絵を貼るので
ここで版下絵はこの世から消えます。

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まれに版下絵がのこっていることも
ありますが、何らかの理由でボツに
なったのかもしれません。


それらを見てみるとアバウトに
描いてあるものが多く、彫師の裁量に
まかされるところが多かったようです。


版下絵は薄い紙に描いてありますが
裏がえしに貼ってから表面をこすって
さらに薄くしました。


線がくっきり見えるようになり
そのぶん彫りやすくなるのです。


彫師は技術の粋をつくして彫ります。


頭髪部分の彫りは「毛割(けわり)」
とよばれ、親方クラスの名人「頭彫
(かしらぼり)」が担当します。


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なかでもムズカシイのが
「八重毛」です。

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生えぎわの極細で先細りの毛を
みごとに彫り出しました。


なんど見ても人間わざとは
思えない超雑技巧です。


それでも絵師だけが有名になります
から不公平のような気もします。


ですが、「彫巳の」など天才彫師の
名は画中に書かれることもあり
あるていどの知名度はあったようです。





線の彫りが終わったら何枚か
摺ります。


これを、


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「校合(きょうごう)摺り」

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といいます。


校合摺りは色版の指定に使われます。


色版が10必要ならば最低10枚は摺る
ことになります。




絵師はそれに色をつける範囲を薄い朱色
で枠を描き、文字で色指定をしました。


これだけよいわけではなく絵師は摺り
のときに色の微調整に関わりました。


彫師は色指定された校合摺りを
別々の版木に貼って彫ります。


彫りが終わったら、版元から
摺師に版が渡されます。


彫師、摺師はそれぞれ工房を構えて
おり版元はそこに注文しました。


大きな版元となれば、おかかえの
職人がいたようです。


職人たちは次の仕事をもらうために
気合を入れて仕事をしたのでは
ないかと思います。


摺師はそれぞれの色版で使う色を
決めなくてはいけません。


ここで変な色を使ったら台無し
ですから、何度も調合して試した
ことでしょう。


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校合摺りのとき使った線だけの版を
「主版(おもはん)」といいます。

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摺りの順序は主版からはじめます。


その後、色版を重ねて摺り
完成となります。


20版以上重ねることもあったとか。


彫りにおとらず手のかかる工程
だったのですね。


初版は200枚摺りますが、
これが売れなければ赤字になり
かねません。


版元はいい絵ができているか
摺り場に足を運んだでしょう。


プレッシャーはそうとうなもの
だったのではないでしょうか。


摺師は色の選択と摺りの丁寧さに
全神経を集中させました。


ですので、


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浮世絵の一番摺りがいいのは
最初の200枚です。

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売れ行きがよければ2版、3版と
摺り増していきました。


もっとも多く摺られたものは
広重の『東海道五十三次』で
10,000枚だったといわれます。


版木の擦りへり具合でだいたいの
枚数がわかるようです。





同じ絵でも値段が違うのは保存状態
だけでなく摺りのよさに違いが
あるからです。


状態のよい初版は数が少なく
入手困難なのでものすごい高値
になります。


後刷りは初版とくらべ全くちがう
色になることがあります。


ヒット曲がアレンジされるように
色を変化させることで購入欲を
刺激しようとしたのです。


また摺師が変わるので色味が
変わるということもありました。


このようにして浮世絵が完成し
店頭で販売することになります。





当時は初刷でも値段は「そば一杯分」
だったというのですからオドロキです。


徹底した分業体制による大量生産が
安価な浮世絵を可能にしました。


版元を中心に浮世絵は芸術の
域に達しました。


それを押し上げた江戸町民の
美意識がハイレベルだったから
こそでしょう。

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