人類を滅ぼしかけたウイルス

松永です。
 
 
北斎、晩年87歳の肉筆画 
「赤鍾馗(あかしょうき)」


 
中国風の衣服を来た大男がものすごい
形相でこちらを睨んでいます。
 
 
男の名は鍾馗という厄除けの神です。
 
 
唐の玄宗皇帝が天然痘でうなされ
夢で暴れる鬼をとつぜん現れた
大男が退治しました。
 
 
男は鍾馗と名乗り皇帝への恩返し
に来たのだと告げました。
 
 
目が覚めると皇帝の病は
回復していたため絵師を呼び
鍾馗の絵を描かせたそうです。
 
  
その鍾馗図が世に広まり
疫病除けの神として祀られる
ようになったといいます。
 
 
疫病除けのシンボルでは赤鍾馗のほかに
源為朝(みなもとのためとも)がいます。
 
 
為朝が流された伊豆大島には
天然痘の病人がいなかったため
為朝が疱瘡神(ほうそうしん)を
島から追い出したと思われていました。
 
 
そこから天然痘除けのキャラクター
として絵に描かれたり節句の人形に
なったりしました。
 
 
疱瘡(ほうそう)は天然痘のことで
疱瘡をもたらす厄神が疱瘡神です。
 
 
歌川国芳の「為朝と疱瘡神」を観ましょう。


 
左の弓をもった武将が源為朝です。
 
 
にらみつけた視線の先にいる
黄色い衣の老婆と赤い衣の子どもが
疱瘡神になります。
 
 
子どもが厄神とは不思議です。


 
疱瘡除けの赤衣を着た少女が
神かくしにあい、じつはそれが
疱瘡神だったという言い伝えに
ならったようです。
 
 
老婆の手には2人の手形が押された
証文があり為朝にさしだしています。

 
その証文には「二度とこの地に入らない
為朝の名を記した家にも入らない」
と書かせたそうです。
 
 
そのため天然痘が流行った
ときの江戸では、
 
 
「この家は、鎮西八郎為朝殿の宿です」
 
 
と書かれた張り紙をしたそうです。
 
 
後ろにいる動物たちは疱瘡を
退治するキャラクターなのですが
為朝にひれ伏しています。
 
 
疱瘡神や動物たちの表情は、ほのぼの
としており、おとぎ話のようなユーモア
を感じさせます。
 
    
天然痘は致死率20〜50%で
治ったとしても体中にあばたが残り
悪くすると失明することもありました。
 
 
天然痘の威力は凄まじくアメリカ
先住民の極端な減少、アステカ・インカ
帝国滅亡の原因とも言われています。


 
スペイン人がくる前のアステカの人口は
2500万人でしたが80年後には100万人
まで減っていたそうです。
 
 
どれだけ恐ろしい感染症だった
のかがわかります。
 
 
日本では大陸との交流がさかんに
なった頃から大流行し東大寺大仏が
造られるきっかけにもなりました。


 
江戸時代には誰でもかかる病気となり
死亡率は下がったようですが、それでも
失明する人は多くいました。
 
 
世界中で恐れられ膨大な死者を出した
天然痘は、世界規模で種痘を徹底し
1980年にWHOが撲滅宣言をしました。

 
天然痘は人類史上はじめてにして
唯一根絶に成功した感染症です。
 
  
鍾馗を赤色で描いたのは
赤には病魔を退ける力があると
されていたからです。
 
 
浮世絵には濃淡2色で摺られた
「疱瘡絵(ほうそうえ)」という
特殊な絵があります。

 
 
天然痘にかかった病人への見舞い品や
病人の部屋に貼られるという用途に
限って使われた浮世絵です。
 
 
芸術性は乏しいとみなされますが
当時の天然痘についての観念や習慣を
知るのにはとても貴重な資料になります。
 
 
ここで観た絵は疱瘡絵ではないのですが
天然痘から身を守りたいという人々の
願いが描かせたのには違いありません。
 
  
どんなに医学が進歩したとしても
見えない驚異であるウィルスとの戦いは
これからもずっと続くのでしょうか。

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