富士なしの富嶽三十六景

この絵にはある意味が隠されているのですが、その秘密を探ってみたいと思います。


富嶽三十六景の『諸人登山』はこのシリーズ中、唯一富士山のシルエットが描かれていません。この絵は富士山を登山している場面を描いています。人々が歩いている場所そのものが富士山の斜面なのです。


富士講の人々が白装束に菅笠(すげがさ)をかぶり、金剛杖を手に急斜面を登っています。富士講とは富士山を信仰の対象にするグループのことです。江戸時代の民間宗教で関東で流行しました。それがきっかけになり一般人による信仰目的の富士登山が急増し民衆の関心は一気に富士山に向けられるようになります。こういう背景があって富嶽三十六景が刊行されたのです。


画面を見ましょう。右中ほどに下から這い上がっている人が見えす。画面下をぐるりと回って右上へのルートを登っていきます。一直線の登山道ではなく複雑に入り組んだ道であることがよく分かります。富士登山がいかに困難であるかが北斎の独創的な構成で表現されています。


さて北斎の正式な雅号は「北斎辰政(ときまさ)」ですが、熱烈な北辰信者であることを示すように北と辰の2文字が使われています。彼はときどき絵の中に北辰信仰をにおわせるモチーフを描きこんでいます。ここでは北極星と同じく信仰の対象であった北斗七星を見つけてみましょう。


さて、この絵の中に北斗七星の配列が仕込まれているのですが、見つけることができるでしょうか?円形に見える菅笠が7つありますよね。それを結ぶと形は歪みこそすれ北斗七星があらわれます。



ほかの絵にも発見することができるので、そういう視点で見るのもまた楽しいです。北斎の意図があるかどうか確証はありませんので念のため。


絵の右上には長方形の中に沢山の人々がひしめいています。シュールな場面ですがいったい何でしょうか。この人達も富士講のメンバーのようですが、穴の中で休憩しているようです。ここは石室とよばれる休憩所もしくは泊まり宿です。自然にできた穴を拡張したり石を積んだりして作りました。(写真は7合目の石室)



当時の登山は困難だったようですが、このような軽装で大丈夫だったのでしょうか。山頂付近の平均気温は8月でも6℃ですから凍える寒さだったことでしょう。

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