西洋の屏風絵

松永です。


メキシコのソウマヤ美術館が
所蔵する不思議な屏風があります。


和名は『大洪水図屏風』です。

台風による大洪水でしょうか。


見てみると西洋風でもあり
日本風でもあり不思議な感じです。


しつらえは6曲の屏風で
枠で縁取りされています。


日本的な模様で埋め尽くされ
ています。


絵をとりまくように金色の雲が
あります。


これは大和絵でみられる
「すやり霞(すやりがすみ)」とは
少し違います。



※「すやり霞(すやりがすみ)」
画面のところどころに霞や雲を描き
余白をうめる技法


この屏風は日本風ですが人物の
洋服からして外国で描かれたもの
のようです。


左上には雲間から神様みたいな
人が、その指先には祈る人の
姿が見えます。



テーマは宗教的なものでしょう。


種あかしをしますと、この場面は
旧約聖書にある「ノアの箱舟」の
物語です。


上の絵は神とノアが向かいあって
いるのです。


この物語のおおまかなストーリーは
次のとおりです。


人間を造ったはいいが悪行が
はびこることに失望した神は人類を
滅ぼすことにします。


しかし、正直者で信仰心にあつい
ノアとその妻、そして3人の娘と夫
の計8名だけは助けることにします。


また、すべての動物、鳥類を
つがいで舟にのせ、種が耐えない
ようにします。


神は、生き残る者たちを守る
箱舟を作るよう命じました。


そのサイズはおよそ、長133.5m
幅22.2m、高13.3mの3階建てで
舟内にはたさんの部屋があります。


最上階はノア一家の住まい
下2階には動物や鳥類、餌などを
入れることにしました。


すべての積み込みが終わると
大洪水がはじまり40日40夜つづき
舟の外の人間や動物はすべて
命を失いました。


アララト山にたどり着いたノアは
鳩を放ち大地が乾いたことを知り
外に出て神に感謝するのでした。


さて、屏風に描かれた
ノアの物語を見てみましょう。


この絵には4つの箱舟がありますが
これは異なる時間を1つの画面に
描いてあるのです。


これを「異時同図(いじどうず)」
といいます。


画面左から時間が経過していきます。


まず一番左は方舟を作っている
場面です。



竹で組んだ足場が見えますが
こういうところは東洋的ですね。


中央は箱舟に身を積みこんだり
つがいの動物や鳥などが乗りこんだり
しています。

右上から飛んでくるのは想像上の鳥
である鳳凰です。

下にはユニコーン(一角獣)がいます。

日本と西欧の図像が同じ画面にいる
絵はかなりめずらしいです。


右上は大洪水で嵐にみまわれ
ているところです。

人びとが逃げまどい波に
のみこまれています。


船内の8人はどのようなおもい
だったでしょうか。



右下はアララト山の頂上に
漂着した場面です。


ノアが鳩を放ち、オリーブの枝を
くわえてもどってきています。

大地が乾いたことがわかると
ノアたちは陸に出ます。


命が助かったことを神に感謝して
新しい人類の歴史がはじまります。

この絵はどこで誰が描かれたものか
よく分かっていません。


屏風は中国でうまれた調度品で
東アジアに広がっていきました。


西洋に伝わったのは約500年前の
大航海時代でした。


ポルトガル、スペインなどが貿易路の
開拓やキリスト教の布教のために
東アジアにやってきました。


彼らは初めて見る屏風を宮殿や
貴族の館を飾る調度として用いました。


中国や日本の屏風はつぎつぎに
西洋にもちこまれ、織田信長が安土城
などを描かせた屏風がローマ教皇に
おくられたりしました。


スペインの辞書にはビオンボ=屏風
ということばがあり、定着したこと
をしめしています。


西洋で人気がたかまった屏風は
17世紀になると植民地でつくられる
ようになりました。


日本人のリスト教徒がマカオに
追放された日本人のなかに絵師がいた
という記録がのこっています。


絵師がもっていた日本画や屏風の
技法が影響をあたえたことは十分に
かんがえられます。


この『大洪水図屏風』も植民地の
日本人キリシタンがかかわっている
ことは間違いないでしょう。


大洪水といえば台風や豪雨災害を
おもいだします。


この『大洪水図屏風』をみたときに
今まさに命を失なおうといる人びとの
なげきはいかばかりだっただろう
と思わずにはいられません。

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