葛飾北斎の絵にはいろんな仕掛けがあるので、それを見抜く楽しみがあります。
北斎は熱心な信仰、妙見(北辰)信仰の信者でしたが、そうなった経緯をお話しましょう。
信仰に目覚める
勝川春章に弟子入りし20歳で浮世絵師としてデビューしますが、しばらくして破門されます。
生活に窮した北斎は絵師をやめようと思いましたが、柳嶋の妙見さまへ21日間お参りして最終日の帰りに落雷にあい失明しました。失明はどうなったのか気になりますが、その後はどんどん売れていき超有名絵師になっていきます。
これ以降、北斎は熱烈な妙見信者になったと言われています。「北斎」という名前は妙見信仰と深く関わっています。「北斎」は略した名前であり正式には「北斎辰政(ほくさいときまさ)」と言いました。
北と辰の2文字が使われていますが、これを合わせると「北辰」となります。これは「妙見」と同じ意味があり、北斗七星(北極星)を神格化したものです。「北斗七星」を人の名前にしたものが「北斎」と考えてもいいでしょう。
このことを前提として絵を見ると、それまでとは違った景色が見てきます。今回はこの絵を見てみましょう。
諸国名橋奇覧『三河の八ツ橋の古図』
「伊勢物語」東下りの三河の国八ツ橋を題材にした作品です。
カキツバタが生えた湿地に3枚続きの板橋がかかっており、旅人や農民が行き来しています。この八つ橋はカクカクと折れ曲がっていますが、一直線でないのは障害物を避けるためなのでしょう。
船が通るのか中央では屋根型になっていますが、このように描いた八ツ橋は他に見たことがありません。画面構成で見ると遠方の山や松の枝と相似形であり、統一感を出す効果があります。それをねらったのは間違いないでしょう。
北斎は北辰信仰の熱心な信者でしたが、この絵にはそれを物語る、あるしかけがあります。
ヒント:北斗七星
丸い笠を持った人たち(一人は箕)をつなぐと北斗七星の形が浮かびあがるのが分かるでしょうか。自身の信仰心を絵の中で表現するあたり、いかにも北斎らしいです。
談ですが京都のお菓子「八ツ橋」とは関係があるのでしょうか。これも伊勢物語の三河の国八ツ橋にかけて板橋の形を模して作ったという説があります。1689年(元禄2年)に聖護院の森で菓子を発売したのが始まりだったようです。
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