サンダル履きの馬を見たことはあるか?

富嶽三十六景_武州千住

松永です、

馬がサンダルをはいているのを
見たことがありますか?

そんなヘンテコな話をします。

北斎「富嶽三十六景」の
『武州千住』(ぶしゅうせんじゅ)

ネギを背負った馬が頭を下げて歩き 
農夫が手綱を手にとっています。

川ぞいに3人の男がすわって
釣りをしています。

水門の柱ごしに富士山
をのぞむ、のどかな風景です。

注目していただきたいのは、

農夫が引いている手綱に何かが
ぶら下がっているところです。

カメの作りもの?

そう思っていましたが
これは、

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馬沓(うまぐつ)という
の靴なのだそうです。

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ワラ製なので馬のワラジ
といってもいいでしょう。

ヒヅメ(蹄)を保護するために
はかせたものです。

よく見ると、絵の中の馬も
藁沓をはいています。

すぐにすり切れるので
何組ものスペアが必要だった
そうです。

ぶら下げられた馬沓は
使い終わったものでしょうか。

それはともかく、なぜ
馬沓が使われたのでしょう?

馬のヒヅメはかたいので
こんなものいらないのでは
と思うのですが、じつは

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飼馬はヒヅメが弱いのです。

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野生種は厳しい環境で生きて
いるのでヒヅメはすごくつよい。

めちゃめちゃぶあつくて
石のようにカタイのだそうです。

それにくらべて飼馬のはとても
弱いのでヒヅメを守らないと
いけなくなりました。

弱くなった理由は
他にもあります。

もともと乾燥したステップ高原
に馬はすんでいました。 

モンゴルあたりだと思います。

それにくらべて北ヨーロッパは
湿気がおおく、やわらかい地面は
馬のヒヅメを弱くしたのです。

蹄鉄(ていてつ)が北欧で使われたのは
こんな理由があったのですね。

蹄鉄とは鉄製のU字型をした
ヒヅメの保護具です。

馬小屋ではヒヅメが尿に
さらされるのでアンモニアの作用
でやわらかくなります。

それを防ぐためにも蹄鉄は
必要だったわけです。

日本では戦国時代につかわれた
という記録がのこっています。

ですが幕末まではワラ製の
馬沓でした。

なぜなのでしょうか?

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日本の馬はヒヅメが硬かった
からです。
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徳川吉宗は大型の馬を輸入し
蹄鉄も導入しようとしました。

でも戦場をかけ回ることもないため
やはり蹄鉄は広まりませんでした。

日本では明治時代から
つかわれはじめました。

大量の軍馬をもつように
なったからでです。

ものすごい勢いで蹄鉄は
ひろがりました。

馬沓はその役目を終えました。

今では知っている人も
ほとんどいなくなりました。

でも、わたしたちは浮世絵で
知ることができました。

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浮世絵は江戸期の生活を知る
資料としても大きな価値があります。

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ちなみに馬のヒヅメは人間でいうと
中指の爪です。

4本の中指で全体重をささえて
いるわけです。

そのような人の姿を想像すると
クスッっと笑ってしまいます。

ためしにやってみてください。

ジャッキー・チェンの修行みたいに
ハードです(笑)。

FBライブでも馬沓について
お話ししています。

よかったら参考にしてください。
https://www.facebook.com/drawingmatsu/videos/2715369582096800/

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